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【映画感想】SFアニメの超有名作『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』

こんにちは!
とろろ小太郎です。

今回はハリウッドで実写映画化もされ、国内外問わず多大な影響を与えた
日本SFアニメの超有名作、1995年公開『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の感想です。

今までは、TVシリーズや新劇場版など展開が多く、手を付けづらかったのですが、
海外でも評価の高いSFですので、コロナのおうち時間を利用し重い腰を上げて拝見しました。

25年も前の作品ですから私のように名前は知っているけど、見たことない人も実は多いのでは??

あらすじ

舞台はサイボーグ技術や脳の電子化など技術の発展した西暦2029年の日本。
テロなどの対応を行う内務省「公安9課」そこに所属する全身サイボーグの草薙素子たちは
ある日外務省大臣通訳が電脳(電子化された頭脳)をハッキングされる事件に
国際指名手配されているハッカー人形使い」の関与している可能性が浮上、捜査を行う。
なかなか正体が掴めない中、ある政府御用達義体メーカー工場が勝手に義体を製造し、
脳のないはずの体が逃亡、その後トラックに引かれる事件が発生。
壊れた義体を公安9課が調べると脳のない義体には、あるはずのない、
「ゴースト(魂、自我のようなもの)」が見つかる。
直後公安9課を訪れた外務省「公安6課」課長からこの義体が6課の作戦で追い詰めた末、
義体にデータが移された「人形使い」だと明かし、引き渡しを要求してくる。
すると、義体が喋りだし、自身が人形使いであること、さらにはデータであるにも関わらず、
一生命体として亡命を希望する。。。。


ここからはネタバレがありますのでご注意を。

序盤から引き込まれる

オープニングからかっこいい!!
ビルの屋上から特殊な盗聴装置で目を被い、風になびかれる草薙素子
ビルから飛び降り、窓から要人を暗殺する。
警察が窓の外を確認すると、光学迷彩で闇に溶け込みながら落ちていく。
スタイリッシュで印象的なシーンですね、引き込まれます。

また、冒頭で表示されるこの言葉。

「企業のネットが星を被い
電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど
情報化されていない近未来ーー」
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

今であれば想像に難くない言葉ですけど、当時は1995年、ようやくwindows95が登場し、
インターネットが一般に認知され始めたころですから、心躍る設定だったに違いない。

難解な専門用語

義体、電脳、ゴースト、攻性防壁などなど難しい言葉がジャンジャン登場。
SFなので仕方ない部分もあると思いますが、義体に関しては話の流れから推測できますが、
その他は説明もほとんどなく、ちんぷんかんぷん。
字幕表示して調べながら見なければ、私は理解できませんでした。

特に電脳。
調べたところ、マイクロマシンを脳に注入し、電気信号のやり取りをするらしいのですが、
マイクロマシンなんて劇中では会話ですら登場せず、はじめは脳も機械化したと勘違いしてました…

哲学的問いかけ①「私を何が私にするのか」

難解な専門用語に哲学。
明らかに大衆娯楽ではないです。
文学的な要素が強くしっかり聞いてないと取り残されます。
というか雰囲気的にそんなことは初めからわかりますが、、、

しかしここが興味深かったですね。物語の肝でしょうし。

主人公の素子は脳の一部を除くすべてをサイボーグ化しているので、
個の証明(アイデンティティー)となるものは、脳と記憶とゴーストのみです。
しかも脳は自分では視認できず、記憶さえも電脳をハッキングにより偽物を植え付けられている危険性があります。
実質的には客観的な状況とゴーストのみが素子を素子たらしえるのです。

劇中で素子がこう語ります。

「人間が人間である為の部品はけして少なくない様に、自分が自分である為には、驚くほど多くのものが必要なのよ。
他人を隔てる為の顔、それと意識しない声、目覚めの時に見つめる手、幼かった時の記憶、未来の予感、それだけじゃないわ。
私の電脳がアクセス出来る膨大な情報やネットの広がり、それら全てが私の一部であり、
私という意識そのものを生み出し、そして同時に私をある限界に制約し続ける。」
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

言い換えれば、個を証明するには「肉体」「記憶」「経験」「ゴースト」など多くの要因が個を生み出す。ということだと思います。
素子はその要件のうち、「ゴースト」しか断言できる要因が残っていないのです。

私はここでの「ある制約」の意味が分からなかったのですが、皆さんはどう考えますかね?
私という個があるが故、その存在の確証を得られず悩むという意味なのか。
うーん。いまいちしっくり来ません。

そんな中、人形使いというプログラムがゴーストらしきものを持ち、生命体を主張。
つまり「ゴースト」でさえも素子を素子たらしめる要因ではない可能性が出てくるわけです。
自分が自分ではないかもしれない。
でも今後直面しそうで怖いですよね。
AIだってディープラーニングなどを行い、一部過去の経験から答えを出しているわけです。
仮に自分の記憶がデータ化出来て、それをAIに学ばせたらどうなるのでしょうか。
性格形成は遺伝的要因と環境要因があるそうですが、遺伝がプログラム、環境が記憶だとすると…
想像すると血の気が引いて寒くなります。

哲学的問いかけ②「生命体とは」

他にもこのような問いがあります。
プログラムは生命体足りえるか。
答えはNOなわけですが、ここも面白いです。

人形使いは生命体ではなく、自己保存のプログラムだと指摘されるとこう語ります。

それを言うならあなたたちのDNAもまた、自己保存のためのプログラムに過ぎない。
生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ。
種としての生命は遺伝子という記憶システムを用い、人はただ記憶によって個人たり得る。
たとえ記憶が幻の同義語であったとしても、人は記憶によって生きるものだ。
コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった。
~~
私は情報の海で発生した生命体だ。
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

「情報の海で発生した生命体だ。」生命は海から誕生したとされることからの言い回しだけど、おしゃれですよね。

乱暴に要約すると私はプログラムだが、人間もDNAというプログラムで作られたに過ぎないではないかというのだ。
DNAというプログラムで動いているに過ぎず、種としては遺伝子という先祖の記憶装置のもとで、
個としては、それぞれの記憶が成り立たせていると。
記憶が外部化された時点でプログラムと記憶は間接的な関係になり、
作られたプログラムであっても生命体足りえる。
ということではないだろうか?自信はない!

プログラムは生命だ!だけ聞かされるとあり得ないと思うが、このように説明されると可能性は感じてしまう。
劇中で生命体の定義を現代科学では定義できないと人形使いは話すが、生命って何でしょうね。

しかしこれは人形使い自信がのちの素子との会話で否定する。

私は自分を生命体だと言ったが、現状ではそれはまだ不完全なものに過ぎない。
なぜなら私のシステムには、子孫を残して死を得るという生命としての基本プロセスが存在しないからだ。
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

生命のプログラムは、いつか終わりを迎え、子として遺伝を残すが、
人形使いは、生命としての終わりはなく、コピーは作れても多様性がない。
生の反対は死だと言うけど正にそのことですよね。
僕は生命としてわざわざDNAを個から個へ受け継ぎ個が終わるのが、種としての生命だと思います。
そして、個として死に抗いながら快感を得るのが個として人間の生命だと思います。

一つ疑問なのは、素子は生命体なので死はありますが、全身サイボーグのため、生殖機能はありません。
それに対し、人形使いはこう言います。

融合後の新しい君はことあるごとに私の変種をネットに流すだろう。
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

これはどういう意味でしょうか。
素子と融合後の新しい総体が新たなプログラムを作るということでしょうか?
ですがそれなら素子と融合しなくても可能でしょうし、新たなプログラムはまた死の概念がありません。
人間に性差があり、子をなすように、その後も人間と融合するのでしょうか?
それとも融合後のコピーでは死の概念があり、子が生まれるのでしょうか?
わかりません。

素子のラスト~そして新人類?

ラストでは人形使いに融合を持ち掛けられた素子は、理由などを問いかけます。
その後米軍?の狙撃により、人形使いは補助電脳を吹き飛ばされ、
素子は首に弾丸を受け、頭と体がお別れしてしまいます。

おそらくですが、米軍が狙撃する前には融合が完了していたのではないでしょうか。
でなければ人形使いのジャミングが解けた理由がわかりません。

その後バトーによって脳核を新たな義体に移された素子は、頭の中に人形使いがいるのかと問われると、

童子の時は語ることも童子のごとく、思う事も童子のごとく、論ずることも童子の如くなりしが、人と成りては童子の事を棄てたり。
ここには「人形使い」と呼ばれたプログラムも「少佐」と呼ばれた女もいないわ。
(GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊より)

つまりは素子は人間から別のものに成り、素子を棄てたのだ。

結構うろたえることなく受け入れましたよね。
個はなくなり、情報の集合体のようなものになるってどうなんでしょう。
アイデンティティーに悩んでた素子にとっては仏教の解脱ようなものなのでしょうか?

ちなみにこの引用は新約聖書かららしいが、人間を超え情報の神っぽいものに成った素子を表しているようですよね。

最後に

かなり長くなってしまいましたが、25年も前の作品の長文ブログを読む人はいるのでしょうか。

お話がストーリー重視になってしまいましたが、
ストーリのみならず世界感、25年前と感じさせない演出、アニメーションの丁寧さ。
映像作品として見ごたえがあり、かつ哲学的で詩のようなセリフの数々。
おそらくそこが、海外やコアなファンを魅了する一因なのでしょう。
哲学的な話とSFは親和性が高いのでしょうか?
エヴァンゲリオンなどもそうですが、名作といわれるものには多い気がします。

とにかく見てよかった。

また次のブログを上げれば見て下さると幸いです。
書くなら見てもらいたいですからね(笑)

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。